前日 食事らしい食事をしていなかったので、おなかぺこぺこ。
こんな気分で朝を迎えたのは ひさしぶりだった。
ハウステンボスへの2日目再入場はなしにした。
ひとりで過ごすところでは なさそうだ。
10時発の市内行きのバスにのった。
その日は 市内をぶらぶらと思っていたものの、時間が早かったので船の時間にさえ間に合えば、島に渡ろうと予定を変更。
ホテルに荷物をあずけ、フロントの人に 島行きの船の時刻表ありますか?ときくと、「今からなら 急げば11時50分が間に合いますよ。その後は1時35分です。」と即答された。
即答できるって そんなに行く人が多いのかしら? と思った。
チンチン電車にとびのり 波止場へ。
駐車場に巨大なショッピングセンターが。
スタバもはいっている。
とりあえず 切符を買いに。
出発まで 少し時間があったので スタバへ行き、タンブラーを買って、ホットのラテを入れてもらう。
そして、船にのりこんだ。
途中ひとつ島によった。
ここの教会の感じが好きだった。
島に入る前 船が大きく揺れた。
小さかったときの船はもっと揺れとったはず。
島が見えてとき あまりにかわってしまった姿にびっくりした。
通っていた小学校は 海水浴場にかわっていたし、離れた島には橋がかかっていた。
お墓参りをして ぶらぶら 歩いてみた。
島は小さかった。
途中ビールを買って、家があったところの近くの海べたにいってみた。
そこで、ビールを飲みながら 本を読んだ。
うちの遊び場で、潮が引き気味のときは えびをとったり 魚をとって遊んだ。
ゴンズイにさされて、目の前の病院にいったこともあった。
ここで 荒れた海を見るのも好きだった。
テトラポットの秘密基地はなくなっていた。
島を離れる前に、うちんがたの船が係留されていた場所にいった。
大阪にくる何日か前、夜中に父が母にナイショで行ったことがあった。
うちは しっとったけどね、母といっしょに大阪にいくことは。
船に変わる前は ボートで そのボートで家族3人で向かいの半島へいって、昆虫採集をした。
家族3人ででかけた記憶は それだけしかない。
その日もひるごはんを食べそびれたので、お腹ぺこぺこで、おいしいもんが食べれるところを探す。
ホテルでもらった地図を頼りに、ふらふら。
「のさ庵」という店にたどりつく。
カウンターにすわって、ビールと豚の角煮カツのセットを頼む。
水イカのつくり、茂木でとれた魚の一夜干しの盛り込みも。
ビールがなくなったところで、板さんに 料理に合うおすすめの焼酎を選んでもらう。
鹿児島の芋焼酎 吉兆宝山を。
辛口で あまりくせがなく おいしかった。
板さんと ぽつんぽつんと会話を。
写真をとっていたので、同業者かと思ったとのことで(笑)
神戸で修行していたこともあったらしく、大阪は魚高いね〜 と。
しかし、魚を頼む お客さんすくなか と思い、思わず口にしてしまった。
おいしかとにね。
最初から狙っていた あらかぶの味噌汁を頼んで、あらをしゃぶる。
味噌汁を飲み終えたら、麦のかすが現れて、「うちは麦味噌です。最近は長崎もあわせが多くなりましたけど。」と。
「うちんがたも 麦味噌でした。」 そんな会話を。
おかげで おいしく料理が食べれました。
お腹いっぱいと思いながら、散歩をしながら 買い食い。
前に食べておいしいと思っていた 餃子はもひとつ。
ぶたまんも 天満駅のほうがおいしいと思った。
こういうのは大阪のほうがおいしかかも。
8月31日(月)
のんびり起きたら、いきなり大雨。
早くでかけんで よかった と思いながら 雨を眺める。
雲の流れが速いし、雲の上には青空も見えていたので これはやむなと。
昼食は 喜楽園のちゃんぽんと決めていたので、朝ごはんは食べないことにした。
フロントに荷物を預け、清水寺へ歩き出した。
私が生まれたときに母が安産祈願にいったところ。
小さいころは 月に1度ぐらい お参りにいっていたと思う。
こんなに大きくなり そして 年月が流れた
浜ノ町のアーケードに入ろうと 歩き出し、ふと喫茶店の窓に張られたチラシが目にはいった。
長崎では ミルクセーキは食べるもん。
確かに スプーンですくっていた記憶が。
懐かしくなって そのまま喫茶店にはいって ミルクセーキを食べた。
食べ終わる頃 むしょうにお腹がすいてきたので、いきおいで トルコライスを頼む。
で、完食!
食べ終わる頃 また 大粒の雨が・・・・・
アーケードは目の前だったので、ちょっとダッシュ!
昔よく立ち寄っていた 本屋さんや文房具やさんの前をとおったり、今日は吉宗の茶碗蒸しは食べれんねーと思ってみたり、東洋軒はなくなっとるねー などなど
そして、中華街に向かって歩き始めた。
中華街を抜けて、オランダ坂へ。
そして、電車道を越えて、大浦天主堂へ。
小さい頃から ここへ来るのは好きだった。
1時間ほど ベンチに座っていた。
清水さんに行き、そして、ここにきて、自分の中でひとつの決心が。
またきます と心の中で言って あとにした。
高台にあるせいか グラバー園内はとてもいい風が吹いていた。
そして、鶴の港。
いつまでも 見続けてもあきない。
グラバー園をでるときに おくんちの様子のビデオと おくんちの山車などが飾られているところを通ることになっている。
むっちゃ わくわくしたし、幼稚園のときは 運動会でそのまねごともした。
特に好いとったのは 蛇踊。
あの球をあやつる人に憧れが。
おくんちといえば 迷子になったことが。
昼間にはぐれたら ここ(船着き場の待合)で待っとくとよ と母に言われたのに、いつまで待っても来ないので 船に乗り込んでしまった。
待合でまっとかんね といったでしょ。
それが母の最初の言葉だったような気がする。
母の顔に安堵感は漂っていたけど。。。
うちの言動は ある種母のコピーとよう思う。
よかところ 悪かところ。
けんかばしよっても 結局 うちと かあさんは 同じかごと 相手の揚げ足をとったり、怒ったりするけん お互いに腹ばたてる。
そういうことさ。
グラバー園を後にして、もういちど大波止に行った。
変わってしまった船着き場。
できることなら 昔のスタンドのこぶうどんが食べたかった。
こぎれいになってしまった船着き場ではなく、木でできたベンチに腰掛けたかった。
結局 スタバでアイスラテを飲んで、この旅のことを思った。
そして、浜ノ町に帰って カステラを買って、喜楽園でちゃんぽんを食べた。
食べてから、ホテルに荷物をとりに行った。
船の時間を教えてくれた人がおらして、「島にしりあいがおらすとですか?」と。
「昔 住んどったとです。」
「僕は 今 島から通っとっとですよ。誰か同級生の名前は覚えとらんですか?」
で、誰々と名前を出したり、出されたり。
保育所からいっしょやった子は 2児の母になっていたり、他の子も何人かはまだ島に残っているらしかった。
「島が変わってきた様子を ずっと眺めてきました。」と。その言葉が・・・・・
そん人は うちば 丁寧に玄関まで見送ってくれた。
最後の最後で 思わぬハプニングが・・・・・
変わったもの かわらないもの 少しだけ すべてが せつなくて (池田 聡 「76」)
そのフレーズが 今回の旅をしての 自分の思いと重なった。
そうだ 池田さんに あなた今の気持ちは 温故知新かな と。
そんな旅やったかも。