「草莽崛起〜すべての草よ、萌え上がれ!」山口公演(2001年9月)報告

ナラカズヲ氏の日記も併せてお読み下さい

2001年10月26日 荒井潤
                       

 荒井潤です。
 みなさまのお陰で、草の根からのロックオペラ「草莽崛起〜すべての草よ、萌え上がれ!」の、山口県での一連の公演を行うことができました。
 以下、簡単ではありますが、このロックオペラの創作者としての荒井潤の個人的な、山口公演の報告をさせていただきます。


 9月13日(木)早朝、アレンジ・ベース担当の柴田耕三氏の運転する車で、同氏、北沢孝一氏(ドラムス)、佐藤俊之氏(ギター)、モンゴル松尾氏(キーボード)の4人と、主人公のゆらりゆらのすけ役の中原宙氏が東京、青梅市を出発、午前6時には八王子インターから中央高速に入り、夜9時前後に宿泊先の山口県ふれあいパーク(山口県玖珂郡由宇町字深山2273−2 рO827−63−1513 )に入りました。
 ふれあいパークは由宇町、銭壷山の頂上近くにある県の多目的宿泊施設で、部屋からは瀬戸内の海と大島などの島々を見晴らせる、快適な施設です。(同町酒蔵「まい夢」の嶋谷さん夫妻の推薦でここに宿泊することになりました)同日、HIPの奇兵隊員役の奈良和雄氏も飛行機で、広島空港より山口大学の吉村朋彦氏の車にてふれあいパークに到着しました。
 弁士勝海舟役の村上BEN氏も、14日(金)飛行機で広島空港経由で、やはり吉村氏の車にて由宇町の酒蔵「まい夢」に到着しました。
 またぼくたち荒井ファミリー4人(潤、リン、真鈴、樹里亜)も、13日夕刻に東京小平市の自宅を出発し、名古屋のおばの家で一泊して、14日(金)夜に由宇町の酒蔵「まい夢」にたどり着きました。
 なお、松田裕視氏は先行して9月12日に山口入りして、みなを出迎えました。 

 9月14日(金)夜7時から、「まい夢」でロックオペラ参加者たちによる「きままにコンサート」が開かれ、奈良氏、村上BEN氏、ぼく、中原氏がそれぞれの曲を歌い、バンドも適宜参加し、最後は中原氏とバンドメンバーたちによるファンキーヴァージョンの「草莽崛起」の演奏で盛り上がり、嶋谷さん夫妻のお力で集まったたくさんの由宇町の観客のみなさんにも満足したもらえたと思います。
 翌日の、9月15日(土)、ぼくと奈良氏と松田氏は吉村氏の車で徳山に行き、徳山銀座商店街のイベントのステージで翌日の公演の予告ライブを行いました。(吉村氏は一連の公演期間中、風邪気味の体で、送迎に買出しに機材運びに交渉ごとに、西に東に車を駆っての大活躍でした。本当にご苦労様でした。また、本当にありがとうございました。)終了後、吉村氏の車の迎えの時間が遅れているとのことだったので、昼食をまだとっていなかった奈良氏に付き合って近くのインドカレー屋に行き、二人でそこのネパール人のご主人といろいろ話して仲良くなりました。
 そのあと吉村氏の車で由宇町に戻り、奈良氏と松田氏が「まい夢」で降りたあと、ぼく一人はリンを迎えに行くためにふれあいパークに戻りましたが、9月に入ってひどく体調を崩し続けていたリンはなかなか動けず、そのためその晩の「まい夢」での公開リハーサルの開演を40分ほど遅れさせてしまい、みなさんに迷惑をかけました。(すみませんでした)。開演の遅れた由宇町の酒蔵「まい夢」の公開リハーサルは、前日に引き続き足を運んでくれた観客の人達もけっこうあって、はじめての人前でのパフォーマンスで出演者は結構緊張していた感じで、セリフの間違いなども多々ありましたが、観客の人達は暖かい拍手をくれました。終了後、嶋谷さん夫妻のご好意で打ち上げ会があり、前日にひきつづいておいしいものを沢山ごちそうになりました。(嶋谷さんご夫妻、本当にありがとうございました。心から感謝しています。)
 荒井ファミリーの子供たちも飲食物コーナーのサービスや、煮物・餃子・チーズ餃子作りなどを手伝ったり、いろいろよい経験をさせていただきました。

 9月16日(日)午後2時〜4時、徳山市銀杏街商店街一番街交差点での公演がありました。多数の商店街のみなさんのおかげで、一番街交差点のアーケード下に特設ステージが設けられ、これもまた商店街のみなさんの持ち寄りで椅子やベンチも設置され、地元の山崎さんの応援ライブもあり、商店街のみなさんや子供たちも含めてみなでプログラム(主として徳山市、山口市の商店街のみなさんのスポンサリングで製作したもの)配りをしたりした甲斐があって、老若男女、多くの人達が立ち止まったり椅子やベンチに腰掛けたりしながら、ロックオペラに耳を傾けてくれました。この日は、野村さん、村岡さん、光永さんパン屋の有吉さん、松丸さんのおかあさんなど、松田さんの郷里の友人たちも多数来場し、暖かい声援を送ってくれました。また、前日仲良くなったインドカレー屋さんのご主人も駆けつけてくれました。
 徳山での上演終了後、近くのドリームスタートステージというライブハウスで、奈良氏、ぼく、松田氏、中原氏で演奏し、その晩、次の晩と、山口市秋穂のセミナーパークに宿泊所を移動しました。セミナーパークの宿泊棟の管理人は親切で、ぼくに、徳山での公演の記事の載った9月17日付けの中国新聞をくれました。

 ところで、9月16日(日)には偶然の出会いがありました。上演後、片付けを終えてから、奈良氏がギターのピックを購入したいというので、商店街の人に楽器屋の場所を聞いて、路上駐車をしていた車を近くの駐車場に入れたあと、荒井ファミリーと奈良氏とで道を歩き始めた時、男の人に「すみません、ポップスかわかみという楽器屋さんの場所を知りませんか?」と声をかけられました。「ぼくたちは東京の人間なんですが、これからちょうど楽器屋に行くところなんです。その楽器屋さんかどうかわかりませんが、よろしかったら…」と応じました 。
男の人は奥さんと男の子と一緒で、歩きながら話しているうちに、牧平博さんという人で、奥さんの克枝(よしえ)さんと3歳の祥弥くんと3人家族で岩国市に住んでいて、70年代にバンドをやっていた、ということがわかったので、ぼくは「だったら、そのころ岩国のアメリカ軍の基地でバンドを組んで活動していたドラマーの公森(きみもり)という男を知りませんか?」と尋ねたところ、びっくりして「知ってます」と。聞けば徳山の町を歩くのは3年半か4年半振り位とのことで、その日に家族連れで行った動物園の帰りに、ギターおたくの博さんが若い時一度行ったことのある徳山の楽器屋ポップスかわかわみをのぞいてみようと車を駐車場に入れ、路上でくわしたぼくたちに道を聞いてみたとのことで、そうしたら共通の知り合いがいたなんて本当になんて偶然なんだと、お互いにびっくりしました。
 ぼくが名前を出した公森氏という友達は中学時代の同級生で高校時代は同じクラブにいて、大学のころ岩国や沖縄でドラマーとしてバンド活動をしていたことがあり、84年にはレコーディングに参加してもらったり、今でも年賀状のやり取りがあったり、折に触れて電話したりしている男でした。
 「岩国」そして「公森」というのはぼくにとって今回の「出会いマジックキーワード」で、実は、今回の山口行きの前(9月4日)にも、今回の縁で知り合ったツアーメンバーでドラマーの北沢孝一氏がたまたま「岩国の錦帯橋の近くの教習所で免許を取って…」と言っていたのを小耳に挟んで「岩国にいってたんですか」「バンドの仕事で、70年代に」「じゃ、もしかして、公森って…」「知ってるよ。同じ時期に岩国でバンドをやっていて、岩国のくすのきっていう住所の一緒の場所に住んでいて」「ええー、そーだったんだ〜」ということがあったので、またしてもびっくりした次第でした。
 牧平さんに、北沢さんのことを話すとやはり覚えているという答えで、ほかにも雨宮氏というぼくも牧平さんも知っているギタリスト(公森氏と一緒にレコーディングに参加してもらったことがある)も話題が出て、70年代の岩国の音楽シーンに一気にタイムトリップしてしまいました。
「公森さんの後釜のドラマーで墨川省三(よしみ)という男が、今、きらら博の一番大きなホールのPAの責任者をやっている。困ったことがあったら彼に相談したらいいですよ」と牧平さんは教えてくれました。
 牧平ファミリー、荒井ファミリー、奈良氏でポップスかわかみに行ったあと、イタリア料理屋での打ち上げに牧平さんも顔を出してくれました。そこで、北沢さんの携帯で、公森氏に電話してみたところ、彼と話すことができて、北沢さん、ぼく、牧平さんで代わる代わる公森氏と話しました。牧平ファミリーはドリームスタートステージのライブも観に来てくれて、祥弥くんはぼくが「カニおやじ」という曲を歌うと「カニカニカニカニ…」と一緒に口ずさんでくれたりしました。
 
 9月17日(月)、9月18日(火)はオフということになり、それぞれが自由行動しました。17日、荒井ファミリーと奈良氏は基本的に行動を共にし、県立山口博物館で銀河鉄道999の3D映像を見たり、元ダイエーの4階起業シティLET`Sに行ったり、NHK山口放送局を訪れてぼくの大学時代の同級生の後輩のNHKの細川さんという人に取材を依頼しに行ったところ不在だったので資料だけ置いてきたり、「温泉の森」に入って温泉三昧に浸ったり、リフレッシュしました。
 「温泉の森」のあと、荒井ファミリーと奈良氏は起業シティLET'Sのあだちゆきこさんやアーティストの藤井裕子さんや若い人たちと合流、車で山口市から南下し、中国自動車山口インターを越えて更に防府方面に少し走ったところにある小鯖の山口高原ブルワリ−(広々とした天井の高い、ビアホールレストラン)であだちさんから御馳走になり、すっかり楽しんで、セミナーパークの門限10時ギリギリセーフという感じで戻りました。 この日、オリジナルのパオを作ったり染色アートをやっているアーティストの藤井裕子さんに、ステージ衣装やステージアートのことで相談したところ、彼女は自分のオリジナルの衣装やオブジェや大きな布類などの作品を衣装やステージアートとして使ってもいいと言ってくれました。その日までそれらのことのメドは全くたっていなかったので、大きな収穫となりました。
 
 翌、9月18日(火)午前中、荒井ファミリーと奈良氏とで、東京の人で最近山口県内で地域起こしの仕事をしている金子さんという友人とセミナーパークでおちあったあと、防府のロイヤルホストに行って会食し、ロックオペラのことを話し、今後のことなどで協力を依頼しました。金子さんの仕事仲間の世良さんという人もロイヤルホストに来てくれたので、一緒にロックオペラのことを聞いてもらいました。
 ちなみに、実はここでも「公森」という「出会いマジックキーワード」が…。金子さんとぼくが知り合ったのはもう20年も前で、彼は当時東京青山のファッションの鈴屋のベルコモンズで仕事をしていて、よく会っていたのは1980年前後で、その後ずっと会っていなかったし、彼が何をしているのかも知りませんでした。それが、8月24日のパーティに参加してもらいたくてオーシャンドリームの堅田氏という友人に連絡してもらったところ「久しぶりです。実はこの数年ずっと地域コンサルタントとして週に3日は山口に行って仕事をしています」というようなメールが金子さんから来て、それでこの日、多分、少なくとも15年以上振りに再会したわけです。彼と会っている時に「金子さんもそうだけど、今回はいろいろといい出会いや再会があって…」と、先日の徳山での牧平さんとの出会いのことを話して、「公森」という名前を口にしたところ、「へえ、公森さんって、珍しい名前だよね。もしかして、その人、双子の妹、いない?」と金子さん。その通り、公森氏には双子の妹がいて、その妹のどちらかは以前、ファッションの鈴屋に勤めていて…。今回の一連の動きの中で、ぼくにはいろいろとマジカルな出会いが続いていますが、公森氏を媒介とする縁は、その好例と言えるでしょう。
 
 金子さんと別れて、防府から山口市に戻り、ファミリーレストランのフラカッソからNHK山口放送局の細川さんに電話したところ、「9月23日に取材に行きます」との返事をもらうことができました。そのあと、奈良氏は夕方まで別行動ということになり、荒井ファミリーは山口市内の瑠璃光寺(五重の塔)に行き、門前のこうじ苑という、ユズフローズンなんかをやっているお店に行きました。6月に山口に来た時も荒井ファミリーはこうじ苑を何度か訪れ、店の奥さんにロックオペラのことを話したり、CDをプレゼントしたところカンパをもらってしまったり、いろいろよくしてもらっていました。3か月振りに顔を出すと奥さんは歓待してくれて、プログラムをプレゼントしたところ、米屋町の公演に行きますよ、と言ってくれました。 
夕方、ふれあいパークに戻り、メンバーはその晩より公演終了までそこに滞在することとなりました。この晩は吉村氏が持ってきてくれたバーベキューセットでバーベキューをやりました。いろいろな話をしましたが、ぼくにとって印象的だったのは、柴田氏が「(アメリカ、カリフォルニア州の)サンディエゴにいる娘のことが心配だ。原発の割りと近くに住んでいて、原発がテロの標的になりそうだから。安全なカナダ国境の近くに引っ越さないかという話も出て居る」などと言っていたことです。
 
9月11日のアメリカの同時多発テロ勃発後の戦争機運の高まるこの時期に山口での「草莽崛起〜すべての草よ、萌えあがれ!」上演がおこなわれることとなったことに、ぼくとしてはちょっと複雑な感慨を抱いていました。
こういう時期だからこそ、一人一人が自分の考えを持ち、自分の責任で生きることがますます必要になってきている。でも、戦闘はちょっと…。まあ、葛藤を超えての自信(自己信頼)の回復とゼロからの再出発がテーマなんだから…。
 9月19日(水)はふれあいパークでレコーディングの日でした。場所はふれあいパークの交流棟にあるスタジオで、ぼくは少しだけセッティングを手伝いました。その時、キーボードのモンゴル松尾氏に「どんなジャズピアニストが好きか?」と尋ねたところ「セロアス・モンクが好きで、ビル・エバンスは好きじゃない」と言って、「ブルー・モンク」を弾いてくれました。

 ちなみに、ここで他のバンドメンバーのことを点描しておきましょう。
 ギタリストの佐藤氏は時間があるとギターを弾いているようなタイプで、演奏はオールラウンドにどんな曲想でも弾きこなす人で、ベレー帽が印象的なギタリスト、もう20年以上の付き合いで、共作曲も何曲かあります。実は、彼はぼくと同じ東京都調布市立富士見台小学校の卒業生です。(ぼくのほうが2〜3年上です。小学校時代はお互いの存在を知りませんでしたが)。
 アレンジとベースの柴田氏は本来はギタリストで、佐藤氏と同時期に知り合って以来の縁で、ぼくとの共作は多数あり、ユニークな音楽性を持ち、アレンジ・サウンド創り・録音全般にも通じていて、仕事はきっちり以上のことをするタイプで、今回もPAの調達や操作、自前の車にメンバーや機材を積んでの東京山口間の往復及び山口県内の移動のための運転、ロードマネージャーなど八面六臂の大活躍で、経済的にもかなりの額の負担をしてくれています。
 北沢さんは、永遠の少年性をもっているようなタイプで、熟達したドラマーで、いつもどんなタイプの曲も余裕で楽しみながら演奏している人で、毎朝、ふれあいパークのガラス張りの向こうに瀬戸内海を見下ろす場所で一人で心のままにタブラを叩いている姿が印象的で、真鈴は彼からタブラの手ほどきを受けて喜んでいました。
以上がバンドメンバーの点描です。出演者に関しては、ホームページや山口公演のプログラムにプロフィールがあるので、ここでは触れません。

 荒井ファミリーは今回のレコーディングには関係していないので、その日の午後車で岩国市を経由して広島県に入り、フェリーで宮島に渡って駐車場に車をとめたあと、厳島神社に向かって歩きました。鹿がたくさんいたので子供たちは大喜びでした。厳島神社はちょうど干潮で、満潮時には海中にある大鳥居の根元は浜辺に露出しており、干潮の浜辺では多くの人達が潮干狩りをしてアサリをっていました。厳島弁財天は、琵琶湖の竹生島弁天、神奈川県の江ノ島弁財天、奈良県の天河弁財天と並んで日本の有力な4大弁財天の一つで、弁財天は芸能の神様なので、今回のツアー中に是非訪れたいとぼくとリンとで話していました。リンは17日に山口市米屋町のLET`Sで購入したピンクのパンジャビスーツを着ての参詣でした。参詣後、子供たちと干潮の浜辺に出て潮干狩りを見物したりしているうちに日が暮れかけてきたので、参道にある生ガキ屋さんに入って、焼きガキ、酢ガキ、カキフライ、カキうどんなどを食べました。店の沖野さんのご夫婦や宮島名産の「幸せを飯取る」という意の縁起物のシャモジ職人の小田さんと親しくなり、その人達にロックオペラの宣伝をしてプログラムなどを渡したところ、「宮島でもなにかやれるといいから、JCの人なんかに話しておいてあげるよ」と言ってくれました。(あとで新聞を読んでびっくりしたのですが、なんとこの日の午前中の満潮時に、厳島神社が大変なことに床上浸水していたそうです。私たちが行った夕方にはすっかり引き潮で、鳥居の前で牡鹿同士が角の磨き合いと言われる相撲をとっているのを拝んだくらいなので、思いもよりませんでした。)
 
 この間、毎晩がバーベキューだのカレーパーティだのお好み焼きパーティだの宴会だのの連続でした。松田氏の友人の村岡さんが魚などいろいろなさし入れを持って来てくれたり、吉村氏の実家で栽培したという美味しい野菜を調達してくれたり、柴田氏や中原氏や北沢氏など料理達者が揃っていたり、その意味ではなかなか充実したよい合宿だったと言えるでしょう。 

 9月21日(金)中原氏・松田氏・吉村氏はテレビとラジオ出演のために朝早くからきらら博会場へ、柴田氏も忘れ物を届けに朝からきらら博へ、荒井ファミリーと奈良氏も予告ライブのため(子供たちはきらら博で遊ぶため)に昼からきらら博へいきました。中原氏ほかが出演した朝のテレビは、みなで、ふれあいパークのテレビで見ました。また荒井ファミリーと奈良氏がきらら博駐車場に車を停めたあと道を聞いたボランティアの女性(ポケットにポータブルラジオをいれ、耳にイヤホーンをしていた)が「そのロックオペラのことなら、今ラジオでやっていましたよ」と教えてくれました。交付されていたパス(なぜか奈良氏や荒井家の娘たちの名前は妙な漢字の名前に間違って書かれていた)を示して会場に入って歩いて行くと、中原氏と柴田氏に出会いました。疲れたから予告ライブはやらないで帰るのでよろしくと言われ、ぼくも「その方がいいよ」と応じ、予告ライブはぼくと奈良氏と二人でやりました。

 翌9月22日(土)は連休の初日で、きらら博には8万人もの人が行くと予想され、当然道路は大渋滞が予想されました。バンドメンバーと中原氏と弁士の村上BEN氏(仕事のため、18日にいったん東京に行き、21日、飛行機で再び山口に戻った)は柴田氏の運転する車で朝5時台にふれあいパークを出発し7時にはきらら博に到着、荒井ファミリーと奈良氏も9時前には出発、渋滞を避けるため主要インターである山口南インターで降りず、一つ先の小郡で降り、あとは適当にカンを働かせて走ったところ、11時位には無事きらら博の業務用駐車場に到着しました。途中で見た幹線道路はやはり渋滞していて、到着後も人はどんどん増える一方でした。ラグーンゾーンにある上演会場は月の海と言う白砂の人工の入り江に面した野外ステージで、秋晴れの青い空と瀬戸内海の海が素晴らしく印象的でした。午後になって、牧平さんの言っていた墨川さんがやってきて話してみると「あれからすぐ、公森氏からメールをもらった」とのことで、そうしているうちに牧平さん一家も岩国から渋滞を超えて観に来てくれました。2時〜4時の上演には中原氏の友人の山口市在住の中野氏もジンベ(=ジャンベ。アフリカの太鼓)で参加、青い空の下のパフォーマンスは爽快で、ジャパラテーニーズのあたりからは観客でいっぱいになり、一気に盛り上がってクライマックスを迎えることができました。
 この会場には、山口大学経済学部の城下先生ご夫妻とお子さんたち、それからテレビ山口編成局長の入江さんも(前日に引き続き)駆けつけてくれました。翌23日山口市米屋町の公演を同局のスタッフがビデオ収録してくれることになっており、ぼくは松田氏から「あした、公演の前に、奇兵隊の衣装を萩まで取りにいってほしい」という依頼を受け、入江さんから受け取り先の萩市旅館共同組合を紹介してもらいました。
 公演終了後、みなは三々五々ふれあいパークに戻りました(いつも荒井ファミリーと行動をともにしていた奈良氏もこの日は吉村氏の車で帰路に)が、荒井ファミリーはその日東京からやってきてきらら博会場まで観にきてくれたぼくの母と合流してきらら博会場にとどまり、子供たちはフィールドアスレチックや綱わたりコースで真っ暗になるまで遊びました。子供たちはこの日もプログラム配りを頑張って手伝ってくれました。荒井ファミリーは徳山のホテルに荒井母(子供たちの祖母)を送ったあと、ふれあいパークに戻りました。 

 9月23日(日)、他のメンバーがセッティングのため先発した後、ふれあいパークの国光さんに協力してもらって女医役のリンが着る白衣を売っている店を探しました。何軒も電話したあと、山口市の起業シティLET`Sのあるビル(元ダイエー)の近くのタケナガさんという店で売っていることがわかりました。荒井ファミリーと奈良氏は午前11時過ぎにふれあいパークを出発し、山陽道〜防府〜山口を経由して萩で奇兵隊の衣装3着を受け取り、3時半ころに会場の山口市米屋町商店街に到着しました。この上演は、米屋町振興会協同組合長でふじもと呉服店の藤本さんのご尽力で実現したものです。ぼくたちが到着した時、商店街青年部長の岡野さんがマイクでロックオペラ宣伝をしてくれていました。岡野さんは朝からステージの設営など多大の時間とエネルギーを裂いてくださっていたとのことでした。(岡野さん、藤本さん、商店街のみなさん、本当にありがとうございました)。ぼくはすぐに白衣を購入しに行き、起業シティに行って藤井裕子さんと合流しました。彼女の作品を借りて運び、LET`Sの古川さんや越前さんたちにも力を借りて、衣装合わせとステージの飾り付けを完了し、リンも素早くLET'Sで赤ん坊の人形を買うなどして、午後5時から本番がはじまりました。あだちさんや藤井さんや古川さんや越前さんや中島さんや金子さんをはじめ、LET`Sの人達、城下先生ファミリーなどの人達のほか、あの瑠璃光寺門前のこうじ苑のおくさん、テレビ山口の入り江さん、大島さん、古川さんも来てくれて、またふれあいパークの森木さんもお母さんと一緒に、そして通りがかりの人達も足を停めて観てくれて、会場は熱気に包まれ、最終日にふさわしい白熱のステージになりました。この日はNHK(取材に来てくれたのは加藤さんという記者)とテレビ山口の取材がありました。(テレビ山口の収録したビデオは56分にまとめられ、10月15日月曜日から一週間、山口ケーブルビジョンで放映されました。エリアは山口市、宇部市、防府市、美東町、阿知須町、小郡町、秋穂町、徳地町で、チャンネルは12チャンネル、放映時間は毎日9時50分、12時40分、15時15分、とのことです)。
 ぼくも自分のハンディカムでステージを記録しましたが、出番が近づいたので長女の真鈴に撮影を替わってもらいました。あとで見たら真鈴のカメラワークがうまいのでびっくりしました。(「終わった時、LET`Sの中島さんにビデオの撤収を手伝ってもらった」と真鈴は言っていました)。クライマックスに向かって出演者全員が燃え、フィナーレの中原氏のゴスペルを歌うようなメンバー紹介とメッセージ(これが実にスピリチュアルで圧巻!)のあともアンコールが続き、歩行者天国の終わる7時ぎりぎりまでパフォーマンスは続きました。
 コンサート終了後、ぼくはLET`Sの金子愛さんからビデオ取材を受けました。その内容は、10月26日の深夜24時35分〜27時30分に放送されるテレビ山口の(インターネット放送などもからめた、朝まで生テレビ風の)深夜番組、「すべての草よ、立ち上がれ〜21世紀の山口発、草莽崛起」で紹介されたと思いますが、確か「本当に自分らしいことを全力投球でやれば、必ずマジックが起き、必要な人や財などとの出会いが起こる、今度の上演は、ぼく自身に関しては、そういうことの連続だった」というように答えたと思います。
 何が本当に自分らしいことなのかはなかなかわからないかもしれません。でも、縁というか、出会った人やものごとを大事にして、これはと思ったことには恐れず積極的に飛び込み、いろいろ試行錯誤しながら取り組んでいくうちに(たとえ失敗しても、失敗は成功のもと、その失敗から学ぶこともたくさんあるはずです)、きっとそれが見えてくると思います。その、本当のその人らしさの追求の中に、この世界におけるその人の真のミッションの花が開花すると思います。一人でも多くの人達が本当の自分らしさ=真のミッションにたどり着くことを祈念しつつ、このことを記します。

 その晩、荒井ファミリー、荒井母、奈良氏のメンバーで徳山のインドカレー屋に行って夕食をとり(マンゴージュースとラッシーを混ぜて作ってもらったマンゴーラッシーがおいしかったです。もちろん、カレーもですけれど)、荒井母をホテルに送ったあと、ふれあいパークに戻ると、打ち上げ会がまだ続いていました。

 バンドメンバーと中原氏は翌9月24日(月)の朝8時、柴田氏の車で帰路につきましたが、連休最終日の大渋滞のため中央高速を山梨県の甲府昭和インターで降り、山越えして奥多摩湖を経由して、青梅にたどり着いたのは午後11時になっていたとのことです。奈良氏は昼すぎに吉村氏の車で山陽本線の由宇駅まで送ってもらい、広島で途中下車して原爆資料館に立ち寄ったあと大阪に行き、27日に大阪のライブハウスに出演し、翌28日に帰京したとのことです。
 この日、リン・真鈴・樹里亜はふれあいパークで陶芸にチャレンジし、リンは山口県内でしばしばみかけた鷺の図案をあしらった器を、真鈴は湯呑みを、樹里亜は埴輪を作り、それらはふれあいパークで焼いてもらって後日自宅に郵送されることになりました。(ちょうどこの文章を書いている最中の、10月11日夕方に、それらが届きました。ふれあいパークのみなさん、本当にお世話になりました。そして、よくして下さって本当にありがとうございました。是非また訪れたいと、荒井ファミリー全員で話しています)。
 ぼくは由宇町のセブンイレブンから萩旅館共同組合に、奇兵隊の衣装を宅急便で返送したりしたあと、疲れも出てきていたので、わりとボーッとしていました。(荒井ファミリーはふれあいパークの滞在を一泊延長し、24日晩も宿泊しました)。
 その日の夕食は「まい夢」で食べようということらなって、車で行ってみましたが、店が開いていなかったので、岩国のフラカッソに行きました。
 翌朝、ふれあいパークから見た夜明けの瀬戸内海は、日の出とともに海の上に光の道ができていくような神秘的な光景でした。

 9月25日(火)、荒井ファミリーはふれあいパークをあとにし、岩国と、そして再び宮島を訪れました。(この時も「まい夢」に寄りましたが、嶋谷さんご夫妻は不在とのことで、家族一同、とても残念でした。お母さまに伝言を御願いして、由宇町をあとにしました)。
 岩国の錦帯橋は全国的に有名で、そこにも行きましたが、実は岩国には別の目的地がありました。話は前後しますが、かつて岩国でバンドの仕事をしていたドラマーの北沢氏は、徳山公演のあとのオフの日に独りで岩国を訪れ、昔住んでいた、錦帯橋の架かっている錦川の、錦帯橋よりも少し下流の、「岩国市くすのき」という住所のあたりに行ってきたという話をぼくはそのあと聞いていました。「昔公森たちとその2階に住んでいた工場はもうなくなっていた。でも、河原に大きな楠がたくさん生えている三角州があって、行ってみたらそこは昔のままで、久しぶりに楠に抱き着いてきた」。そんな北沢氏の話を聞いて、荒井ファミリーも是非そこに行ってみようということになっていたのです。
 コンビニで道を尋ねながら、車で錦川沿いに下っていくと、川を渡るような感じてコンクリートの堰がかかっている場所があり、その堰を渡った向こう側に、果たして大きな楠がたくさん生えている場所がありました。河原に車を停め、堰を渡ると、一番手前にある少し斜めに生えている楠には大人でも入れる大きな虚(うろ)があいていました。ぼくが中に入って見上げると、虚は幹の中を空に向かってずっと伸びていました。子供たちも中に入ってビデオを撮ったりしました。それから別の楠たちを歴訪(?)し、みんなで抱き着いたりしました。ぼくも抱き着いてみましたが、疲れている体によいエネルギーが入ってくる感じでリフレッシュできました。(楠さんたち、そして北沢さん、本当にありがとう)。そのあと、再び宮島を訪れましたが、ここの大元神社の境内にも大きな楠があり、ここでも抱き着いたりしました。この楠のところで、リンとぼくの中に「地球神楽」という、日本国内はもちろんこの地球上のどこでもそれぞれの地域性を採り入れながら上演しうる音楽&ストーリーのパフォーマンスのアイディアが沸き起こりました。再び生ガキ屋さんを訪れて食事をとったあと、夜18時50分のフェリーで戻り、山陽道に入って帰路につき、休みながらも連続運転して、翌朝7時にリンの熱海の実家にたどり着き、一泊して、翌9月27日の夜に、東京都小平市の自宅に戻ることができました。

 と、簡単な報告のつもりが、物書きのサガというか、案外長いものになってしまいました。
申し訳ありません。また、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
 今回の「草莽崛起〜すべての草よ、萌えあがれ!」の一連の公演は、本当にたくさんの方々のサポートとお力添えのお陰で実現し、最後までやりとげることができました。その意味で、縁と出会いの産物と言えると思います。予知であるとかESPだとか、いろいろな「超能力」が取り沙汰されますが、人間にとって最大の超能力は縁と出会いだと常々思います。それはごく一部の人にではなく、誰にでもあらわれることのできる超能力だと思います。人との出会い、事物との出会い、風景との出会い、すべての創造は縁と出会いより起こるものではないでしょうか? 一期一会即創造。縁起即創造。出会即創造。再会即創造。別離即創造。山口のみなさん、6.29や8.29のイベント・パーティーに参加してくれたみなさん、資金提供してくれたみなさん、目黒のPAのみなさん…出会った全てのみなさんに、そしてこれから出会うであろう全てのみなさんに、心から感謝、感謝です。もちろん、バンドや出演者のみなさんにも。
財政的には村上BEN氏、柴田耕三氏、荒井潤、吉村朋彦氏、松田裕視氏に対する未払い分もあり、マイナスが残っているものの、それでもバンドメンバーや出演者達はみな、やってよかった、山口へいってよかったと言っています。
今後のことですが、ぼくとリンはNPO(特定非営利法人)草の根グローカル文化創造振興センターの設立を進めています。このNPOをベースに、様々な地域(含、東京)の様々な個人との出会いの中で、今回の「草莽崛起〜すべての草よ、萌え上がれ!」も含めたオリジナルな草の根グローカル文化の創造と振興を進めて行こうと考えています。
NPOは、「利潤が生じた場合にそれを出資者に還元できず、もっぱらそれをそのNPOの目的のために使う」という1点(法律上の制限)を除いて、通常の会社と全く同じ活動ができます。つまり、製作・上演・ライブ・販売・マネージメント・プロモーション活動などを、法律上の特点と制限・監督を享受しつつ、明確な社会的スタンスと自己責任の元に、仕事として行えるということです。

一つのおわりは新しいはじまり。今回の成果と反省を踏まえて、進んで行きたいと思っています。お元気で、また会いましょう!

 最後に、ぼくが一番大事にしている歌の一つの歌詞を引用して、結びに変えさせていただきます。

TAO

君の心に道がみえる
過去から未来まっすぐ続く
顔さえ知らず離れていて
友達にまだなる前から

T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
知らず知らず
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
歩いていた
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
同じ道を

気が付いた時道の上で
隣り合わせに歩いていた
笑顔交わして知り合った今
大事にしよう巡り会いを

T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
言葉超えた
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
話しよう
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
道の上で

lalalalalalala

 人は独りで生きてはいないよ
 たとえどんなに独りの時にも
 いつも隣に誰かがいるんだ
 この空の下ほら今出会った
 一緒に歩こう 

lalalalalalala lalalalalala
lalalalalalala lalalalalala
心開けば壁は消えてく
不思議の中を一緒に行こう

T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
言葉超えた
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
話しよう
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
道の上で

T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
肩を並べ
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
歩いて行こう
T,TAO,TAO,TAO,TAO,T,TAO
とわの道を

歩いて行こう


独自ドメインの取得をするなら 専門学校情報が満載♪ 過払い金の回収ならこちら
[PR] | 店舗デザイン監視カメラ浦和熊谷木更津新橋中国SEO対策消費者金融車 買取テンプレート沖縄旅行免許合宿二輪引越しプレゼントゴルフ会員権留学レーシックマッサージFXアフィリエイトFXホームページ制作デイトレードハワイ旅行タイバンコクハワイ レンタカーベスト ハワイ ホテル レーツバリ島Hawaii hotelsHawaii Activitiesbhhrハワイホテルテキスト広告
【運営会社「パラダイムシフト」サービス】 ハワイ現地オプショナルツアーリラックマ) - ビジネスクラス航空券 - 格安航空券(1) - 格安航空券(2) - 海外ホテル - 韓国旅行 - タイムシェア - ホテル 予約
無料ホームページ - 携帯ホームページ - 無料ホームページ作成 - レンタルサーバー - ブログ - ヴィラ - ハワイ コンドミニアム - バリ島 ホテル - プーケット ホテル - レップチェッカー - 海外旅行 - 国際電話 - ホノルルマラソン - 掲示板監視 - 誹謗中傷 - 宿泊料金比較 - ノースウェスト 航空券 - 旅館