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独語学習記
2.独語やってみようかな時代(96〜97)
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英会話教室で学んだのは英語だけではなかった。(英語学習記2参照)「ドイツ人の感覚」のようなものが、うっすらとみえてきたかもしれない。いつのまにか、あんなに大嫌いだったドイツ語をやってみようかなという気分になった。
@おじいちゃん1
冬に日本から友だちが5人遊びに来た。マイナス気温を体験しようという変わった人たちである。私を含めて6人の団体旅行が始まった。移動は全て電車。ドイツ語を知っているのは私一人なので、いろんなことを私がやるしかなかった。これがよかった。
ニュールンベルクに泊まったのは12月26日。クリスマスマルクトの屋台の扉は閉まり、街は閑散としている。駅裏のホテルのカウンターでは80手前かと思われるおじいちゃんが私たちに応対した。
「いらっしゃい。このへんじゃ、うちとそっちのホテルくらいしか今日はやってないよ。」
お年寄りだから、幸いにもゆっくりとしたドイツ語だった。予約していて正解だった。
夜になってから、ハイツンクが冷たいのに気づいた。フロントに電話する。やってきたおじいちゃんはハイツンクを細かくふるえる手で触ると、
「なんだ大丈夫だよ。」
「何が大丈夫なの。冷たいじゃないの。隣の部屋のは熱いんだから。」
友だちの部屋の方におじいちゃんを手招きしてハイツンクを同じようにさわらせると、やっとわかってくれたようで、まってろよと言うと、しばらくして新しい部屋の鍵を持って戻ってきた。そして、荷物を移したらもとの部屋の鍵をもってこいというようなことを言うと、おじいちゃんは消えた。
古い鍵を持ってフロントに行ったが、おじいちゃんは見あたらない。テレビでも見てるのかなあと思いながら待っていると、黒い影が現れた。おじいちゃんは黒っぽい上着の衿を立て、その間に何か黒いものを宿らせ頬ずりしている。
「あっ、うさぎ!」
毛並みのよいかわいいうさぎだった。
「名前は何ですか?」
「うさぎだよ。」
「・・・。動物が好きなんですね。」
と言うと、おじいちゃんは自分の手帳を取り出し、そこにはさんであった愛犬の写真を見せてくれた。これもやっぱり黒い毛だった。
そんなことがきっかけで、しばらくおじいちゃんと世間話をすることになった。ハンブルクに住んでいると話すと、プロイセンとバイエルンは仲が悪いんだぜというようなことを言った。私はそれは昔のことでしょうと返したつもりだが通じたかどうかはわからない。
おじいちゃんがあまりにも哀愁を漂わせるもので、
「またいるかこのホテルに泊まりに来たいです。」
と気づいたら口にしていた。
「いつか?明日か?」
このおじいちゃん、なかなかいける。おじいちゃんに再会できる日が楽しみである。
Aおじいちゃん2
コンパートメントには、ちょうど6人が納まるため、他の乗客と接触する機会はない。はずだった。
ニュールンベルクから早朝の電車に乗るが、定刻になっても電車が出ない。隣りのコンパートメントのおじいちゃんがドアを開けてホームに流れるアナウンスを聞いていた。
「あのすみません。この電車遅れるんですか?」
「うん一時間遅れだよ。」
「雪ですか?」
「大雪だ。」
おじいちゃんはDBの退職者だった。さっそく鉄道マニアの子を呼びにいっておじいちゃんの話を聞くことにした。
おじいちゃんはチェコへ行く途中。ブダペストにも温泉治療のためよく出かけるらしい。おじいちゃんといっしょに写真を撮り、送り先住所を書いてもらう。
(この後送った写真がきっかけで、私は翌年おじいちゃんちを訪ねることになるが、これはまた別の機会に。)
Bおやじ1
ドレスデンも真っ白だった。どこが道なのかも見分けがつかないほどの大雪だった。ドレスデンは二度目。フラオエン教会を友だちにぜひ見せたかったのと、変なおやじのやっている民陶の店にもう一度いきたかったからだ。
「私、夏にこれとこれを買いました。」
私が買ったのと同じ作品を指さしながらそう言うと、
「ああ!ハンブルクの!」
けっこう記憶力のいいおやじかもしれない。夏のころは、ハンブルクに住んでますくらいしかドイツ語でしゃべれなかったから、やたらどこででもそう言ってたような気がする。
「これがわれちゃったから、もう一つほしいの。」
おやじは、前回と同じく飄々とした動きでいくつかのカップを取り上げて私の前に並べた。おやじの作るカップは、どれも微妙に大きさが違うのだ。これは故意なのかどうか定かではない。
おやじは、他のものまで売りこもうとする。中でもお香入れのようなものはバラエティーに富んでいた。家の煙突から煙を出すのは誰でも考えつくだろうが、じぞうさんのような人形の耳から煙りがプカリと出たひには感嘆した。私の友だちはただ呆れ返っており、私一人でうけていた。
おやじは一つでも多く売ろうと大まじめである。それがまたおかしかった。
私と相通ずるものを感じ取ったのか、帰るころにはなれなれしく、あれとれこれとれと私に指図するおやじであった。
三回目のときには、ぜひ弟子入りがしたい。
Cおやじ2
もう一人忘れてはならないおやじがいる。後に結婚相手となるM氏である。
M氏とは96年の始めに日本で出会った。旅行中の彼がたまたま私の街を訪れた時に外国人案内所に立ち寄った。その時応対したのが私の高校時代の友人Aさん。ドイツ行きの決まっていた私のことを思いだし、
「ちょっとドイツ人来たわよ。参考になる話聞けるんじゃない。」
ということでAさん夫婦と私たちとで居酒屋へ。ところが、私はAさんと、彼はAさんの夫と(外国人です)盛り上がってて、M氏とは何を会話したか全く覚えてない。帰りぎわに握手した手が、人間のものとは思えないほど?大きかったことだけ覚えている。
後に彼に聞くと、彼の方も何も覚えてないらしい。(お酒はいってません)
ドイツへ渡ってから、時々電話をしあうことになったのだが、再会は96年のクリスマス前。クリスマスを私や友だちといっしょに過ごした後、日本から来る5人の友だちを迎えに行く私を空港に送ってくれたのだった。
半年くらいは英語で話す方が多かったかな。そのうち次第にドイツ語が多くなってきて、ドイツを去る頃までには、ほぼドイツ語で話してた気がする。
とはいえ、二人の距離は800q近く離れてて、デートもたいへんでしたよ。たいてい車で行き来するんだけど、私は6時間半という大記録をうち立てたのだ!
そういうことからほとんどの日々が電話でのつながりだったわけで、私のつたないドイツ語ヒアリング能力は彼によって養成されたといっても過言でなない。
ドイツにも「おやじギャグ」があることを教えてくれたのも彼である。
こうして少しずつ私のドイツ語に対する壁は崩れ始めたのだった。
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