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独語学習記
6.帰国後のドイツ語ふっとび時代(99春〜01春)
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@3年ぶりの帰国
成田に3年ぶりに降り立ったときは感動。ヨーロッパの空港に比べて人のざわめきが少ないように感じた。何となく整然としている。ばかでかい人があまりいないので見通しがいい。シャトルバスに乗るときに初めて気づいたのが茶髪全盛。「なるほどこれが聞いていた茶髪かあ」バス関係で働いている若者は全員茶髪のうえ制服を着ているので、さっきの人と今ここにいる人とが同一人物なのか別人なのかを見分けるのが難しかった。
都内のホテルで待ち合わせていた元同僚たちと居酒屋へ行き盛り上がった。ばんばん注文する。だってドイツと比較にならないほど安いしおいしいんだもん。
帰国翌日に行ったのが秋葉原。このノートPCは何とその足で買ってかかえて帰ったのでした。我ながら超衝動買い。
A変な日本語
さて、まさかのようだが脳の一部がドイツ化していたらしく、ときどき人との受け答えで「Ja」と言っていたりするから最初は気が抜けなかった。(^_^;)その次に困ったのが、しゃべり口調。3年間ほとんど標準語で通してきたので、親友や家族との会話が方言丸出しにもどるまでに少し時間がかかった。日本語自体も何だかおかしい気がして、友だちに「私の日本語へん?」とマジでたずねたこともある。「ときどきへん」とその正直な友だちは答えてくれた。
しかしそんな取るに足りない悩みは、押し寄せてくる仕事の波にすぐに押し流されてしまった。あっという間にもとどおりの私。
Bドイツ語ふっとぶ
本題です。で、ドイツ語はどうなったかってこと。これは気もちのいいくらいどんどん忘れていく。仕事にはもちろん、普段の生活の中にも、ドイツのかけらの一つもないわけで、まずはスーパーで買ってた商品の名前あたりから忘れ始めた。次に日常的な物の名前。ちょっとしたもの。例えば、「あれ〜眼鏡って何て言うんだったっけえ?」のような調子。簡単な法則。使わなければ忘れるのが当然。
当時、毎晩ドイツのM氏から、ご機嫌いかが電話がかかっていたのだが、一日仕事で疲れきっている日には聞く側ばかりに回っていた。「なんでそんなに静かなんだ。何かあったんなら話してくれえ!(〒_〒)」と問いつめられてもなあ・・・
そうこうするうちにM氏がついに日本へやってきて結婚。2年近くの間、日本で新婚生活を送ることになる。(*^_^*)ドイツ人と生活しているとはいえ、ここは日本。環境にドイツ語は皆無。普通の夫婦の会話に支障はないにしろ、いわゆるドイツ語の語彙なんてのは、そう増えてはくれない。日々がとにかく忙しくドイツ語の勉強を地道にやるなんてことは全くできなかった。
Cしょせん
ガーンと思っていたところにある日独カップルに出会う。単なる偶然に地元で出会った貴重なドイツ人である。ある村の交流員をしていたR。日本語をドイツで勉強していたそうで日本語での普通の会話が成り立つ。なんでM氏は日本語できないんだよお〜と八つ当たりしてみたくなったりもした。そのRの奥さんはドイツで勉強しドイツで会社勤めしていた人。二人プラスM氏の速い話の展開についていけない私に気づき愕然!その晩よく考えてみた。「3年間ドイツで暮らしていたとはいえ、朝から晩までほぼ日本語のみの生活だったものなあ。語学学校だってさぼってばかりだったしい・・・私は忘れる程度のドイツ語しか身につけてなかったわけだ。」
そう結論づくと開き直るのも早い。とりあえずM氏とドイツ語で喧嘩もできるし、細かいことは、まっいいかという気になってきた。
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